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大阪地方裁判所 昭和38年(わ)1920号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一、判示第一、第三の各犯行による木下の各傷害について

本件公訴事実は、木下が判示第一の犯行により「約二〇日間の加療を要する頭部、左肩胛骨部、左上膊部、右肩胛関節部、左胸部、腰背部、左腹部、左太腿部、右下腿部打撲傷」を、判示第三の犯行により「左頸部を褐示板支柱に激突させ、よつて約一二日間加療を要する左頸部打撲傷」をそれぞれ受けたというにある。

<証拠>によると、木下は判示第三の暴行を受けた後、会社事務所内の自分の席で五乃至一〇分休んでから、田中豊同会社労務課長等と共に自動車で所轄港警察署へ本件の告訴に赴き、事件の概略を約一〇分間話したところ、担当警察官から勧められて医師の診察を受ける気になり、一人で同署から約二〇〇メートル離れた内藤外科医院(院長内藤優)まで歩いて行つて診察を受けたこと、同医師は「頭部、頸部、両肩部、胸部、腰部、左膝部、両下腿部、左肘部、両手部各打撲(疼痛強度、体動困動)」と診断し、鎮痛剤を注射し湿布を施し、右の診断に基づき約一〇日間の安静加療を要する旨の診断書を作成したこと、木下は帰宅後同夜午後七時頃、更に自宅近所の西川内科医院(院長西川美博)の診察を受け同医師は「左胸部五〇×三〇センチメートル大、左頸部一八×二五センチメートル大、左側腹部、腰背部にそれぞれ筋肉痛、左肩胛関節部、左上膊部全般、左胸部五〇×三〇センチメートル大、左肩肝骨部、右肩胛関節部全般、左太腿部二〇×三〇センチメートル大、右太腿部一〇×五センチメートル大、左頸部一八×二五センチメートル大にそれぞれ圧痛、左頸部に軽度の腫張、その他首がまわらない上頑固な頭痛、めまい、歩行障害がある」と診断し、鎮痛剤を注射し、筋弛緩剤塗布及び湿布を施し、同年四月一日右の診断に基づき一〇日間の加療を要する旨の診断書を作成したこと、その後新たに後頭部二分の一にわたつて軽度の腫脹を認め、同月七日に更に一〇日間の追加治療(合計二〇日間)を要する旨の診断書を作成したこと、木下は内藤医院には通院せず、西川医院に同月一二日まで通院し、その間同医師は同月七日に左頸部筋肉痛が、同月八日(受傷後一二日目)に首がまわらない症状が消失したと診断したことがそれぞれ認められる。

右認定及び前掲証拠によると木下の身体の外見的、客観的変化は西川医師の認めた頭部、左頸部の各腫脹だけであり、その他には両医師共擦過傷、挫傷、刺切創、内出血に基づく皮膚の変色等を認めていない。そこで先ず、後頭部の軽度の腫脹について検討すると、西川医師は最初の診断書を作成した四月一日より後(少くとも犯行より五日後)に初めて右腫脹を発見したというのであるが、同証人は三月二八日に前記のように身体各部の圧痛、筋肉痛の他、頑固な頭痛、めまい等の症状を木下から訴えられ、全身を診察した筈であるにもかかわらず、後頭部の腫脹を発見していないこと、腫脹は打撃後直ちに起り四八時間目位が最高であること(同証言)からすると、木下は引続き通院しているのであるから特に最高となる二日目位には当然発見していなければならないこと、西川医師は内科医であるのに対し内藤医師は外科専門医であるから外科的症状に対しては一層正確な診断を期待しうるところ、同医師は前記のように頭部打撲と診断しながら右腫脹は仮に西川医師の診断が正しいとしても(後述)、本件犯行以外の打撲に基づくものではないかという疑が濃厚であり、本件犯行との因果関係は認め難い。次に左頸部の腫脹について検討すると、外科専門医である内藤医師は頸部打撲と診断しながら腫脹を発見していない(後記鈴木の場合には、ほぼ木下と前後して診察しており、左太腿部に軽微な腫脹を発見している)こと、西川医師はその証言中において、腫脹の定義及び腫脹と筋肉のもり上り等との区別、腫脹と認定した根拠等について十分納得できる説明ができず、その供述はあいまいであることを考慮すると左頸部に腫脹を認めた同医師の診断はたやすく信用できないものといわねばならない。木下証人は左太腿部が黒ずんでいた旨供述しているが、内藤、西川両医師の前記各診断に照らし同部に外部的に認められる創傷のなかつたことが明らかである。

木下、内藤医師の各証言によると同医師は前記各部に打撲傷があり、具体的症状としては疼痛強度、体動困難であると診断したがその診断根拠は、外見的には何ら変化が認められないので、木下の愁訴をそのまま信用して前記各部における疼痛制度、体動困難を認め、傷病名として木下が打つて相当痛いと言つて診察を求めてきたため、打撲傷としたものであることが認められ、治療日数についても木下の疼痛制度の訴にもかかわらず、一週間位で治るごく軽いものであるが、数が多いため一〇日と判断したことが認められる。

西川医師についても前記診断の根拠は腫脹を除いては内藤医師の場合と同一であり、前記各部における圧痛、筋肉痛及び首がまわらない、頑固な頭痛、めまい、歩行障害等の症状はいずれも木下の愁訴によるものである。なお木下から大勢の人にもまれて怪我をして全身が痛いこと及び前の病院でレントゲン写真を撮影してもらい、打撲傷はあるけれども骨折はないと診断されたと聞き、又、木下の左肩胛部、左胸部、右太腿部にそれぞれマーキユロクロームが塗布されており(西川医師は、前に診察した医師が打撲の湿布個所を特定し、看護婦に指示するために塗布したものと判断したことが認められるが、内藤医師は本件のように開放性の傷創がない場合は、塗布しないと明言しており、木下自身又は家人の手により塗布したものと推認される)、その他、内藤医院において身体各所に湿布がなされていて、ガーゼ包帯等で処置されていたことも、特に西川医師が内科医であることを考慮するとその診断に予断、影響を及ぼしたものと認められる。治療日数については当初一〇日間と判断したが、その後木下が通院を続け筋肉痛、首の痛み、首がまわらないこと等を訴え続けたため、更に一〇日間延長したことが認められる。(以上内藤、西川証言)

そうすると、木下の傷害が認められるか否かは、同人が内藤、西川両医師に訴え、かつ当公判廷で供述している前記身体各部の疼痛(筋肉痛、圧痛)、体動困難、頑固な頭痛、めまい、首がまわらない、歩行障害等の症状が真実と認められるか否かということにかかつている。

そこで木下の医師に対する訴えが真実であつたかどうかを検討すると、(一)木下は判示第一の暴行を受けた後第一鍍金仕上工場から出たときは特に体に痛みを感じず、最初に痛みを感じたのはそれから会社事務所に入つて休んでいる時である旨供述しているのに港警察署に行くまでに会社職員、組合員等に木下が訴えた形跡のないこと(木下はしんどくてそういう気になれなかつたと供述するのであるが、前掲田中証言によると木下は「非常にくやしい、残念だ、俺が一体何をしたんで集団でいじめなきやいけないんや」と言つて憤慨していたことが認められ、木下の右供述は信用できない)、(二)痛みを感じた個所についても、同じ日に診察を受けたにかかわらず、内藤医師に対して制度の疼痛を訴えた左膝部、左下腿部、左肘部、両手部について西川医師に対しては全く痛みを訴えておらないこと(一日の内に強度の疼痛が消失するとは考えられない)、(三)内藤、西川医師共木下の左太腿部に外見的客観的変化を認めていないにもかかわらず、木下は当公判廷で同部が黒ずんでいた旨前記のとおり誇張して証言していること、(四)木下は西川医院に行つたのは、夜になつてあまり痛むからで、妻に杖代りになつてもらい腕をかかえられて行つた旨公判廷で供述している(西川医師も、木下が妻と共に来院したことは認めている)が、木下は同日の昼には港警察署から約二〇〇メートル離れた内藤医院に一人で歩いて往復している他(木下の供述によるとこの時には、すでに全身に痛みを感じていることになる)、翌日から会社を欠勤したり、通勤に困難を感じ、会社職員や、組合員に疼痛を訴えたり、不自由な歩行や動作を示した等の事実は、証拠上認めることができないので、木下が医師に訴えた制度の歩行困難、疼痛等が一両日で消失するとは考えられないからこの点にも木下の誇張が認められること、(五)木下が医師に訴えた程の症状があれば当然何をおいても医師の診療を求める筈であるのに内藤医院で診察を受けたのは前記のように港警察署警察官の指示に基づくこと等木下の訴には誇張や不自然なところが多く、木下が本件の労働争議においては労務課員として会社側を支援し、組合員と対立する関係にあつたもので、しかも判示第一の暴行を受けて非常に憤慨していたという事情を考慮する内藤、西川両医師に疼痛等を誇大に訴え、又公判廷で供述しているのではないかという疑が強く、その供述をそのまま信用することはできないと言わねばならない。本下は前記のように四月一二日まで西川医院に通院しているのであるが、右事実は前記事情に照らし、必ずしも疼痛等があり、かつ強度であつたためとは認められない。

なお検察官は、木下が当時着用していた衣類の破損が大きいため、暴行の強さが推認され、当然傷害の結果が生じていると主張している。証拠物をみると成程、木下の作業服上衣(前同号の一)の前ボタンが上下一つづつを残して中間の三つが千切れ、右作業服の下に着ていた白カツターシヤツ(同号の三)の襟、左右前胸部、左袖が裂け、その下のメリヤスシヤツ(同号の四)の左右肩部、前ボタン下部が裂け、更にネクタイ(同号の五)が二つに千切れていることを認めうるが、右白カツターシヤツ、メリヤスシヤツ、ネクタイはいずれもかなり使い古していて比較的破損しやすい状態にあつたものと認められ、白カツターシヤツ、ネクタイは布地そのものが裂けたり千切れたりしているではなく、縫い目がほつれあるいは切れて裂けたり千切れたものであつて比較的弱い力によつても発生しうるものと認められる上、いずれも検察官の主張する打撲傷の原因となる押し又は突く力によるというよりは、むしろ前後左右の一乃至二方向からの引つ張る力によつて生じたものと認められ、必ずしも傷害の発生を推認させる根拠になるといえない。又右作業服上衣背部、作業服ズボン左右下腿部、臀部、左右腰部の各該当部分が泥で汚れ、靴型の跡等が認められ、右各身体部分に打撃が加わつたことを証明するものではあるが、打撃の強度は不明であり、木下は右白カツターシヤツとメリヤスシヤツの間に更に毛のセーターまで着用していたのであるから打撃による衝撃もかなり柔らげられたものと推測され、いずれにしても傷害の結果にまで至つた根拠とはなりえないといわなければならない。

従つて、以上認定のとおり、木下の身体には擦過傷、裂傷、挫傷、腫脹、内出血等の客観的、外見的変化はなく、疼痛(筋肉痛、圧痛)、めまい、頑固な頭痛、首がまわらない、歩行障害、体動困難等に関する木下の訴えも信用できないから、結局木下が判示第一、第三の各犯行により、それぞれ前記公訴事実のような傷害(打撲傷)を負つたとは認められない。

二、判示第二の犯行による鈴木の傷害について

本件公訴事実は、鈴木が判示第二の犯行により「約一〇日間の加療を要する左太腿部打撲傷」を受けたというにある。

<証拠>によると、鈴木は自動車の便があつたため、病院に行く気になり、木下と前後して前記内藤医院に行つて同医師の診察を受け、同医師は「左太腿部打撲(左太腿腫脹、疼痛)」と診断し、鎮痛剤を注射し湿布を施し、右診断に基づき、約一週間の加療を要する旨の診断書を作成したこと、鈴木はその後同年四月三日(約一週間)まで同医院に通院治療を受けたことが認められる。

右認定によると鈴木の具体的症状は客観的外見的変化としては左太腿部腫脹だけであり、その他には鈴木が同部の疼痛を訴えたことが認められるが、右の各証拠によると右腫脹には内出血等による変色はなかつたことが認められ、内藤証言によると肉眼で健康部分(右太腿部)と比較して見ると、多少、ちよつとはれておるかなという感じがするという程度のごく軽度、小範囲なものと認められる。証人池田正夫の供述(前掲)によると、鈴木の蹴られたと思う所が赤く充血(即ち、皮膚表層部における内出血を意味する)していたのを認め、証人折田敬輔の供述(前掲)によると、鈴木の左膝から一〇センチメートル位上の太腿部が手拳大に青く(即ち、皮膚深層部における内出血を意味する)なつていたのを認めたというのであるが、両証人の供述は色の点で全く相反する上、前記認定事実及び証拠に照らして、この点に関する供述は信用できない。

疼痛については前記木下同様、鈴木の愁訴により内藤医師が、これをそのまま信用して診断の根拠としたことが認められるが、鈴木が蹴られた強さについて検討すると、蹴られたのは一回だけであり、被告人田渕は前掲各供述調書中において終始、自分としては力一杯蹴つたようには思わない、鈴木は倒れもせず、何も言わなかつたので公訴事実のような傷害を負わせたとは思えない旨供述しており、鈴木証言によると急に後から突かれたような感じでデモ隊の中からとび出た時に蹴られたといい、池田正夫証言によると鈴木がもみあつている小さい集団の中からよろけるようにして出てきたところを蹴られた、声をかけると鈴木は大丈夫と答えたというのであり、以上によると鈴木は不安定な姿勢でいるときに蹴られたことが認められるが、力一杯蹴られたのであれば当然よろけるか、又は倒れる等何らかの姿勢変化があるはずなのに、両証人共これに全然触れていないのであるから、蹴られた強さは田渕の供述のとおり、それほど強くなかつたと認められる。鈴木は歩くのに左足がまつすぐにならなかつたと供述しているが、池田、折田両証人共これに気付いた旨述べていない上、内藤医師も左足体動困難、歩行障害等を認めておらず、鈴木の誇張と考えられる。

従つて以上検討したように、いかにゲタばきの足によるものであるにしても蹴られた強さがそれ程強くないこと、腫脹がその程度、範囲から見てごく軽微なものであること、前記内藤医師作成の被保険者診療録の木下分には疼痛強度と記載があるのに鈴木分には単に疼痛としか記載がなく、鈴木の疼痛の愁訴自体それほど強くなかつたと認められること等からみると鈴木は疼痛が無かつたか、あつたとしてもごく軽微であつたと認められる。又、鈴木は内藤医院へは自動車の便があつたから行く気になつた、一〇日間程通院した旨供述しているが、前記のように約一週間しか通院しておらず、その間殆んど毎日約二〇〇メートル離れているにすぎない港警察署へ出向いていた旨供述しているのであるから、特に疼痛強度のため診察を求め通院を続けたとは認められず、本件のような労働争議に起因したものでなければ特別、医師の診察を求めることなく、放置したのではないかと考えられる。

結局、鈴木の具体的症状である腫脹、疼痛共右に見たように軽微なものであつて、通常の軽度の暴行(殴打や蹴りつける等)に際しても、必ず多少共発生すると考えられる上、特に生活機能に障害を与え、健康状態を不良に変更する程度に達したものとは認められないので傷害(打撲傷)と認定しなかつた次第である。(松浦秀寿 黒田直行 中根勝士)

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